2011年3月11日の14時48分
今からちょうど10年前のことです。
私は当時、小学5年生でした。
いつも通り、小学校に登校し、5時間授業を受けて、友だちと下校し、家に帰りテレビをつけました。
聞いたことのない、テレビからの緊急地震速報の音、大きな揺れを捉えたテレビカメラの映像。
全てが、初めての体験でした。
そして、その後すぐに流れた大津波警報
アナウンサーの人が必死に、何度も何度も訴えかけていた映像が今でも鮮明に覚えています。
その後、東北を襲った、高さ10mもの巨大な津波。
電柱・車・家・その地にあったもの全てが流されていきました。
沿岸部の街を大量の海水が襲い、津波が街を破壊し尽くす映像は忘れることができません。
さらに、津波の影響による、福島第一原発での放射性物質の事故や、首都圏での製油所の石油タンクが大きな火災。
これらの災害により、2万2000人余りの死者・行方不明者が発生したと言われています。
突然奪われた平和な日常
誰かと過ごした楽しい日常
何もかもが失われました。
今なお、震災の余震や放射能汚染に苦しむ方々、それらに関連したいじめや差別のニュースをたびたび目にします。
私たちはどのように行動するべきでしょうか?
震災当時、日本各地では多くの人がボランティア活動に参加し、みんなで助け合い、さらに海外からもたくさんの援助を受けました。
人類が助け合う素晴らしさを学びました。
今、コロナウィルス感染症により、世界が恐怖と混乱の最中にあります。
人々が手を取り合い、協力しあい、助け合う必要があります。
今一度、自分たち自身の言動や行動を見つめ直す必要があるのではないでしょうか。
また、今後も増え続ける大規模災害、数年内に起こるとされている南海トラフ地震にむけた、準備も日常生活の中からやっておく必要もありますね。
最後に私が最も心に残っている言葉を紹介します。
震災直後の春の甲子園大会で、和気町出身(佐伯小学校・中学校卒)の野山慎介さんの選手宣誓です。
宣誓。
私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。
今、東日本大震災で、多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。
被災地では、すべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。
人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。
私たちに、今、できること。それはこの大会を精いっぱい、元気を出して戦うことです。
「がんばろう!日本」。
生かされている命に感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。
#東日本大地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りし、被災地の1日でも早い復興を心より願っています。
#コロナウイルス感染症対策に従事する医療・福祉関係の方々、生活を維持するため営業を続ける事業者の方々に感謝とエールを!
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